藤井 健仁 近況

個展「鋼鉄のグランギニョール 」2016 ステイトメント




□ 趣旨
  
   

このたびYOD Galleryでは、藤井健仁(Takehito Fujii, b.1967)の個展「鋼鉄のグランギニョール  」を開催いたします。 

90年代より精力的に製作発表を行ってきた藤井は、鉄が近現代に生み出した「富、権力、暴力」を表象する著名人の顔を鉄の面に置き換える「彫刻刑  鉄面皮」により2005年、第八回岡本太郎記念現代芸術大賞にて準大賞(大賞該当者なし)を受賞、2008年には愛知県芸術文化選奨 新人賞を受賞し、高い技術と表現方法が各方面から評価されています。 

藤井の表現は逆説に貫かれていると言っても過言ではありません。鉄鍛造という同技法同素材ながら対極的スタイルを持ち、しかもモダニズムから排斥され続けて来た「面と人形」を範とする二つのシリーズ、「鉄面皮」と「New Personification」を並行して制作している事からもそれは伺えます。
「鉄面皮」では撲殺に等しい鍛造労働による殺意自体の形象化に始まりながら対象人物への善悪を超えたシンパシーに到達し、一方愛らしい人形を造形しながらもその材料である鉄との交錯の中で残酷かつ非情な制作物となる「NewPersonification」、双方とも初見の印象とは逆転した着地点を持っています。只、逆説の可能性を記号を並べての連想に委ねていくありがちな方法とも、定説に依存することで成立する当てこすりの逆説とも異なる、その逆説こそが実は本来の定説なのではないかと思わせる説得力は、作家が逆説と向き合い現実の重作業の中でそれを履行した結果練り上げられた技術と物品の強度によるものといえるでしょう。

YOD Galleryにおける初の個展となる「鋼鉄のグランギニョール」では、「New Personification」に連なる新作の少女鉄人形等を展示いたします。ぜひこの機会にご高覧賜りますようお願い申し上げます。 

鋼鉄のグランギニョール

グランギニョール、斬首や血飛沫が入り乱れる19世紀末フランス発祥の残酷劇。元々は人形劇であったらしい。
だがそれを冠するこの展示にはそうした鬼面人を威すが如きイメージを置く予定はない。準備されているのは控え目に改変された、いたいけな姿態の少女鉄人形だけである。

ではそれがどうしてグランギニョールなのか。素材と内実、鉄と人形の出会い、それ自体が残酷に相当するものであるから。しかもここ数百年で屈指の。なぜなら前近代迄、人形の祖である神像呪物は信仰の対象としてコミュニティの中心にあった。だが鉄の時代、産業革命を経て信仰の対象は経済及び科学に移ってゆく。ならば鉄と人形は世界の中心の座を巡って、未来と過去、駆逐した物とされたもの、それぞれ双方に相容れぬ対極的要素という事になる。鉄で制作される人形はこうした巨大な転換をその小さな肢体の中に招き入れざるを得ず 、未来永劫軋轢に引き裂かれながら存在し続ける。しかもいたいけにはにかみながら 。

制作に際しては昔ながらの手作業がもたらす質と強度は不可欠だが
二つの要素それぞれが帰属するイメージのどちらにも偏らないよう留意する。だが記号からの連想に留めるのならばそこまでの労働は必要ない。二項を調停したまま先に進み、軋轢の果てにあるものを実際の物品として目の当たりとする為に必要となる労働である。

その物品の仕上がり次第によっては、ありえたかもしれない、別の「鉄の時代」を示唆する可能性もある。50年来、児童(特に男児)に支持されその想念に働きかけてきたロボットアニメーション、いわば「鉄の人形劇」は未だ定位されていない集合無意識の祖型なのではないかと思えるように。



1967​愛知県名古屋市 生まれ
1990​日本大学芸術学部 卒
​  
<個展>
2016「New Personification Vol.5 GIRLSLIFESMITH」、日本橋高島屋美術画廊X、東京
2012​「New Personification Vol.4 私たちのどこまでが鉄ではないのか」unseal contemporary(東京)​
2009​「Double Irony」Gallery M contemporary art(愛知)
2008​「鉄面皮 Extended」ストライプハウスギャラリー(東京)
2007​「New Personification Vol.3 人形の融点」ストライプハウスギャラリー(東京)
2005​「New Personification Vol.2 PSEUDO METAL BOSSA」ストライプハウスギャラリー(東京)
2004​「彫刻刑 鉄面皮」ストライプハウスギャラリー(東京)
2003​「New Personification」ストライプハウスギャラリー(東京)
2002​「Exculpture」Gallery APA(名古屋)
​「Exculpture」PORT des ART(東京)
2001​「Exculpture」Gallery APA(名古屋)
​「個展」アートコレクション中野(名古屋)
1996​「小品展」Gean art space(埼玉)
1992​「個展」愛宕山画廊(東京)

<主なグループ展>
2015「像形人間」みうらじろうギャラリー(東京)
「現在幽霊画展」TAV GALLERY(東京)
2014「TARO賞の作家 Ⅱ」川崎市岡本太郎美術館(川崎)
2013​「SUMMER SHOW 2013」日本橋高島屋美術画廊X/新宿高島屋美術画廊(東京)
「溶ける魚 つづきの現実」京都精華大学ギャラリーフロール/Gallery PARC(京都)
2011​「激凸展」unseal contemporary(東京)
2007​「City_net Asia 2007」ソウル市立美術館(韓国)
2005​「第8回岡本太郎記念現代芸術大賞展」川崎市岡本太郎美術館(川崎)
2004​「第7回岡本太郎記念現代芸術大賞展」川崎市岡本太郎美術館(川崎)
2002​「KOREA MASS/JAPANESE FIGURE」MOK AM MUSEUM(韓国)
1999​「新世紀人形展」ストライプハウス美術館(東京)
1998​「WORK'S 98」横浜市民ギャラリー(以降1999、2000年参加)(横浜)

<受賞歴>
2008​平成19年度 愛知県芸術文化選奨 新人賞
2005​第8回岡本太郎記念現代芸術大賞 準大賞 川崎市岡本太郎美術館 
1999​新世紀人形展 日向あき子賞 ストライプハウス美術館(東京) 
1990​日本大学芸術学部 学部賞

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# by fujiibph | 2017-08-27 17:14

個展 GIRLSLIFESMITH 2016 麿赤兒氏序文



私は藤井健仁氏の彫刻像が持つ背景の重さと、その広大さに魅せられている。
宇宙的空間と何光年もの長大な時間を一挙に生け捕りにしてパックした趣を感じるからだ。
それは有史以来、美術史の如何なる作家の彫刻像とも異質である。
洋の東西を問わず、かつて多くの作家達がその時代の自然現象・社会環境の中で、人間の情念の有り様・知の有り様、それ等を超越するべき思考と手法を駆使し「ヒトの秘密」をあらゆる角度から照射し、あぶり出そうとした。藤井氏はそうした営為を熟知しつつも、それ等に対して、肯定と否定を目眩く繰り返したことであろう。
それは美術史の大いなる迷宮の際限なき罠とも言える。
鉄という元素は宇宙開闢以来の元素であり、一つの星の創造と破壊に作用し、しいてはあらゆる生物の生存にも作用する。その元素が持つ膨大な時間の記憶を藤井氏は受胎したのだ。
鉄と向き合い、鉄と格闘の如く、交接・交感することによって・・・
その瞬間、彼はあの際限のない罠から、絶対的自由を獲得したのだ。
彼の変容とその彫刻像の変容は「鉄面皮」の人々になり、昆虫になり、猫になり、少女になる。
しかし、それ等は全て命がけの擬態の形相を呈している。
全ての生物がそうあらねば死滅のみである。
それほどにこの星は、世界は、クライシスの臨界にあると、藤井氏なるその像達は言っているのだ。しかもどこか微笑みを含みながら・・・

麿赤兒(舞踏家・俳優)

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鉄は人の血中にあってそれを生かし、また兵器となっては多くを殺めてきた。一方、人形はそれが嘗て神像呪物であった時代から人を慰撫し続けてきた。だが「鉄の時代」が亢進してゆくにつれ、信仰対象の座は科学に取って替わられ、それは専ら個人的な閉じた領域に押しやられていく事になった。

鉄と人形、この二つが重なり合う次元が制作空間となる。考えようによっては対極と軋轢に充ちたこの場所に於いて、新しさも古さも極端さや連想もさほど効果は期待出来ない。そこに居続ける為に必要なものは、人形のかたちをとることでより無慈悲な鉄となり、又、鉄によって形成されることでより一層稚雅な人形となる、そうした循環を支えるに足る、質と強度だけである。

                    2016.4.8  藤井健仁

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このたび 高島屋では「New Personification Vol. 5
GIRLSLIFESMITH 藤井健仁展」を開催いたします。
一般にはとても扱いやすいとは想像し難い素材である「鉄」を最も扱いやすい素材と言いきる藤井健
仁。近代文明・産業の発展を牽引し、時に人類を殺傷させるほどにそのカタチを変容してきた素材と
しての鉄を熱し、叩き、切り、曲げ、溶接するという男性性溢れる行為とも言える過程を経て表出さ
れる藤井の作品は、しなやかで、艶やかな色香を含んだ、時に珍妙なさまの女性性に満ちた姿でそっと佇んでいます。
その姿は我々が日常においてそこに在るのに敢えて見ようとしない不文律の様でもあり、心の奥底に
しまい込んだ好奇の末の罪悪感、高尚と下衆が綯交ぜになった人間の心理を揺さぶる鉄が変容した何
ものかの様でもあります。
藤井のつくる未来が遠い過去であり続けることで、我々が目にするその作品を前に、アカデミズムが手放さない正義と建前は自ずと溶解し、現代に対する批評性を孕んだそのシンボルとしての偶像崇拝主義からの解毒が喚起されるなど、人形としての化身に自身を投影せずにはいられなくなります。
相反する概念をハンマーで叩き伸ばし新たなイメージをつくりあげる霊長類人形目彫刻科の藤井健仁の現在をどうぞご高覧ください。








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# by fujiibph | 2017-08-27 17:02

太郎賞の作家2 2014 カタログ掲載 作家ステイトメント全文

第6回から第12回の『TARO賞』で各賞を受賞した作家たちの作品を紹介。出展作家  大巻伸嗣、天明屋尚、藤井健仁、ヤマガミユキヒロ、タムラサトル



二重の対極  

対極的とも言える、《鉄面皮》、《New Personification》という二つの作品シリーズを、鉄を共通した素材として用い、並行して制作してきた。実在する著名人の顔面を形づくる《鉄面皮》は斬首像とも受け取れる形態(※註1)を持ち、《New Personification》は人形制作を範としたものであるため、前者は暴力的でハード、後者は親和的でマイルドと云った印象を抱かれるかもしれない。けれどもその二つの印象イメージそのままが対極関係となっている、といった図式に留まるものではない。それではまだ半分しか光があたっていないのだ。
《鉄面皮》では「この様な彫刻を造る為には殺人を可能にする量とほぼ同じ労働量を必要とする(※註2)」といった殺意の形象化として始まりながらも、長時間に及ぶ対象への凝視と労働のさなか、対象の風貌の中に制作者自身の断片を発見し、彼我を隔てる境も次第に曖昧になっていく。最終的には(対象によっては憎悪すべき)その来歴行状にもかかわらず愛着さえも芽生えることになり、ストレートな断罪や害意とは異なったものとして完成する。
そして鉄で人形を造作する《New Personification》おいては、兵器が高度化し都市が増殖する「鉄の時代」の台頭と入れ替りに後退していったのが「人形」が神像呪物などとして共同体の中で機能し得た世界であるから、この制作はヒトの歴史の正方向と逆方向、双方のベクトルに引き裂かれており、鉄と人形という新旧社会基底材の交代劇が、稚雅な人形のクオリティの中で繰り返されている。これはかなりハードなシチュエーションといえるかもしれない。  
《鉄面皮》、《New Personification》、双方ともに、その初見の印象はそのままに真逆の内実を示す、対極性を内蔵するものであり、その上で「-のまま+、+のまま-」であるこの二つの制作を並行して行う事は、より大きな、二重の対極による循環を産み出す可能性がある。

※註1  fig[ ]《彫刻刑 鉄面皮プラス》2004年  
※註2 個展「彫刻刑 鉄面皮」ステイトメント、2004年



《鉄面皮》各シリーズについて    

「象る部分は形作る。それも、殺人に匹敵する力を持って。しかし、それに値しない力は決して行使しない。」
(東谷隆司「藤井健仁 Double Irony」※註3)


一人一作、《彫刻刑 鉄面皮》

「殺してやる。」誰しも想像力の尽きた瞬間、そう呟いた瞬間があるはずだ。だがそこを起点とする想像力も存在するのではないか。それは貧しいかもしれないが重要だ。そうした切迫した刹那の意識を「表現の題材」とするのではなく、殺意そのものを素材とする、「殺すこと」と「造ること」が同義語になる制作の位相もあるのでは、と直観した経験から、この制作は始まった。

初めて実寸大に近い頭像を鉄を素材として鍛造した時の事である。対人であれば数回で死に至らしめるような金槌による粗雑な打撃、その数千回に及ぶ打撃痕がそのまま人肌に近い質感を生み、そこに鉄分による血の香りが漂ってきた瞬間、殺す程の労働量に比例して作品は生気を放ち、いつもながらの手慣れた造形作業は血まみれの暴行とイコールで結ばれた。

鉄は、紀元前のヒッタイトで鋭利な凶器となって以降、戦争の効率を高め、生活全般に浸透し、現在にまで至る、権力、富、暴力による社会の長大な階層化の基盤にもなった。そうした鉄が生み出した状況によってアイデンティティーを獲得、維持している人物達は「鉄」によって立ち現された「人間」であるのだから、その容貌を鉄によってトレースすることは、鉄にあたえられたアイデンティティーだけを塗り潰すことにもなり、それに由来しない「等身大の生(の彫刻)」だけが塗り残しの如く浮かび上がってくるのではないかと考えた。
一枚の鉄板の打ち出しによる制作で、内的動機によって形成される部分は裏側(内側)から、外的要因によって形成される部分は表側(外側)から叩いて造形し、内と外が拮抗する境目である顔の表面を一枚の鉄板上に再現していく。
結果、人物の風貌の形成過程を制作工程によってトレースする作業は、そのままその生の追体験ともなり、対象存在への善悪を超えた肯定感やシンパシーさえ抱くこととなった。だがこれこそが《彫刻刑》と題した所以であり、モデルに対しては市井の感覚以上のものはなく、独善的正義感の発露でも、冷ややかな苦笑を促すものでもないことは、実際にその質感を一瞥するだけでも自ずと了解されるはずである。

(※註3 東谷隆司「藤井健仁 Double Irony」個展序文、2009

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SA 2002 iron (麻原彰晃)

《鉄面皮Extended》

今となっては馴染み深いものとなってしまった感のある、脈絡の無い人物、事件を組み合わせ、同時に伝達する事により、一方の人物や事件の意味を相殺、無化させようとする意図的な情報操作「スピン」(※註4)の存在。脈絡の無い人物達を制作し組み合わせ同時に展示する私はこれと同じ事を行っていることになる。だが彫刻と云うスローなメディアに置き換えられた事でその結果は逆転する。それぞれの存在は併置によって相殺、無化ではなく、位相を超えた比較を可能とさせ新たな相関を発見し、過去の記憶に改めて鮮度をもたらし、隠されてきた個の有り様までも露見させ、私たちと変わらぬ生身の人間も立ち顕われるかもしれない。モデルは当時の時局などから選択したが、時間の経過に伴う風化によ
って参照出来なくなる懸念はあった。だがその後の経過や現在の状況に連結し当時以上に存在感を増し、新たな問題さえ滲ませてくる作もある。現代オンタイムの価値観のためにではなく未来に残す為のものであるという、彫刻メディアの古典的属性がこのような制作にさえも反映されるのかもしれない。6年前の第二期シリーズ《鉄面皮Extended》は情報操作の只中にあって諦観せず、対象を凝視し続けられる意識の耐性を獲得しようとする、いわばカウンタースピンを目指していた。

(※註4 スピン(Spin)とはパブリックリレーションズ(PR)の一種に対する揶揄めいた呼称。利害保持者にとって不都合な、関心を持たれたくない情報を公開せざるを得ない際に、その情報よりもイメージ喚起力のあるニュース(例えば連続殺人事件、芸能スキャンダル、注目されているスポーツ試合の結果等)を同時に報道させることで関心をそちらに集中させ、不都合な方を目立たないようにしてその影響力を減衰させる技法。有名な事例として、アメリカ同時多発テロ当日、イギリス政府公報特別顧問ジョー・ムーアが広報局長に送った「今日は葬りたいニュースを発表するには絶好の日だ。」といった内容の電子メールがある。

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H 2007 iron (裕仁)

記号の肉化、《鉄面皮/形代かえし》

近年、造りたいと思えるキャラクターが少なくなってきた。時局からすればむしろ以前よりも「作れる」対象は増加しているにも関わらず、顔が何かを顕す時代は既に終わったのかもしれないと考える程に。それでもモデルとして選択した幾人かでさえも、顔と為した事柄の間に不自然なほど夾雑物が少ないせいか、その結合も弱く感じられる。改めて普遍に還元するまでもなく、既に誰の顔ででもあるかのような顔立ちをしているのだ。だがその顔の持ち主がもたらす惨禍は以前とは比較にならないものになりつつある。だがそこに「凡庸な悪」を持ち出しても仕方が無い。それではヒ素の入った小さなカレー鍋と崩壊した原子力発電所を混同し、極小と極大を相対化してしまう事になりかねない。

形代とは藁人形や紙人形を用い、人形に加えた危害を対象人物上に再現させる古来からの呪法であるが、かといってこの制作が私によるモデル達への呪いなのかといえば、そうではない。(※註5)彼ら自身が紙人形であり、対象は彼らを記号として意識の中に抱え持つ私たち全員である。偶然にそうしたフォーマットが自ずと形成されてしまうのか、それともこのようなノウハウをもつ層が存在するのかは分からない。

ある町で起こった猟奇事件実行者の顔が全国の液晶画面に表示される時、程度の多寡はありこそすれ、その顔の持ち主が行った所行を同時に1億3千万人が脳裏に描き、想念を蠢動させる。それはその事件自体とは異なる、無意識の位相で起きる全国的な災厄となる。特定個人の顔が、そのまま全国共通の、特定の想念を呼び出すインデックスとなったのだ。そして顔が記号として繰り返し送受されて行く中で、行為に至る迄の細々とした機微や情念は平滑化され、1億3千万との共通因子が残留し、私たちに等しく寄り添ってくる。そこに簡単なアナウンスで、同時に隆起した想念に方向付けし、現実の災厄とすることも、その瞬間には容易な事となりうる。(そこに最初から平滑化された顔が現れて来たのが不自然な
のだ。切っ掛けが現実の事象でなくても一たび蠢動が始まればそれは現実の力になる。)

似ている、似ていないと云う、この作品に対する判定も、私を含めほとんどがモデルを実見した事のないもの同士でのやり取りである。ならばその判定は実際の個人ではなく、それぞれの裡にある記号に対しての想念を基準としたものである。
その顔は確かに記号でしかない。だが地表の水蒸気が雨雲となるように私たち個々の想念が凝集し束なったものこそが記号の実体であり、それは蠢動が繰り返される程、強度と厚みを増して行く。本来は雑多で来歴も異なるバラバラな個々の想念が連結したものであって、ドライでも透明でも、ましてやバーチャルでもない。

記号化した存在を「よく見て、描写」することで改めて凹凸を穿ち、叩き出し、削ぎ落とされたかもしれない機微を憶測によってでも復元してゆく、手業による強引な「肉化」は、依然そのまま記号のトレースであったとしてもその多面性を留保させ、束ねられない種類の個人的な情念をもそれぞれに喚起させうるかもしれず、想念の束化、記号の形代化ともいえる事態は僅かにでも遠ざけることができるかもしれない。巧拙はともかくとして記号に寄り添う努力を十分にした上で、それでも「似ていない」と言われるなら、私はどこか労働を認められた気分になる。 

モデルとなった人物たちの幾人かは、死が訪れる迄の時間に価値を偏らせたばかりに様々な齟齬や虚偽を造り出し、飽和量を超えてそれらを行使したがために死が訪れる迄の時間の確保さえ危ぶまれる程の重大な事態を招いた。近い将来、彼らが思惑通りの生を全うし幽界に向かう途中、仮に私が用意しておいた、自らを模した像を魂の依代として見つけ出したにしても、そこではそれまでのような安寧も充足も継続されない。なにしろ彫刻とは、死んだ後にもそのまま世界は続くとする前提でつくられているものだから。そして生前、さんざん多勢に対し吹聴してきた「死は終わりではない」という現実を諦めに導くためのアナウンスを、今度は連中が聞く事になる。



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TK 2014 iron (勝俣東電会長)  
「鉄面皮形代かえし」 より

(※註5 fig[ ]  《寝正日》2008年の作品。2011年、結果的にモデルが作品をトレースしてしまった事例。勿論偶然である。)
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2011年12月2日 平壌
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寝正日 SLEEPING KJ 2008   1000×550×1500    iron,plustic,Blanket.glass



《New Personification》について

私たちのどこまでが鉄ではないのか  

鉄で人形を造っているだけ、と言えるかもしれない。けれど制作中に得られる直観の中では、その鉄と人形の組み合わせは、実材彫刻に於いての素材とテーマの関係を超えた結びつきがあり、オールドスクールな制作過程を経ながらも、何かで何かを表現すると云った間接的な事をしている様には思えないのだ。

近現代の環境は鉄の強度への信頼を前提とした想像力で成り立っている。戦争や都市は勿論だが、高い塔に登り景観を楽しみ、軽装で車に乗ってデートすることもこうした想像力の延長線上にある。福島にて鉄製の160ミリの圧力容器が溶融した途端、美術も含めた幾つかのイメージが変更、或はリアリティーを持ち得なくなったということは、それまでこの鉄の強度が少なからずそれらイメージを支え、担保していた為だと言える可能性がある。

だが鉄に由来する想像力はそこに留まるものではない。それがヒトの生命を維持しその血液を赤色たらしめ、尚且つ地核及び鉄鉱床として地球の質量のおよそ三分の一を占めるものでもあり、それは核融合を伴う地球生成以来存在し、原初には総ての炭素生命の発生を触媒した事を勘案するならば、ヒトの来歴や存在は、地球上に於ける鉄の永い変成プロセスからスピンオフしたものとして捉えられることとなり、我々のどこまでが鉄と関わりが無いのかといった線引きは非常に不確かなものとなる。遠大な時間と膨大な質量を持つ地核及び鉄鉱床自身の視点になり替わる事が出来るならば、そこからはヒトと鉄人形を隔てる要素はさほど多く数えられる事もなく、さして異なるものであるとは映らないのではない
か。そして「我々こそが鉄から出来た人形なのではないのか」といった妄想さえも生まれてくる。

(個展 ステイトメント、2012年/2014年9月10日改稿)

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海から離れて7 /フェノミーナ
Away from the Sea 7 /Phenomina
2014
653×178×160
鉄、ガーゼ  iron,gaze
衣装制作 TOMOKO FUKUDA"  


■作家略歴■

藤井健仁 Takehito Fujii

1967​愛知県名古屋市 生まれ
1990​日本大学芸術学部 卒
​  
<個展>
2012​「New Personification Vol.4 私たちのどこまでが鉄ではないのか」unseal contemporary(東京)​
2009​「Double Irony」Gallery M contemporary art(愛知)
2008​「鉄面皮 Extended」ストライプハウスギャラリー(東京)
2007​「New Personification Vol.3 人形の融点」ストライプハウスギャラリー(東京)
2005​「New Personification Vol.2 PSEUDO METAL BOSSA」ストライプハウスギャラリー(東京)
2004​「彫刻刑 鉄面皮」ストライプハウスギャラリー(東京)
2003​「New Personification」ストライプハウスギャラリー(東京)
2002​「Exculpture」Gallery APA(名古屋)
​「Exculpture」PORT des ART(東京)
2001​「Exculpture」Gallery APA(名古屋)
​「個展」アートコレクション中野(名古屋)
1996​「小品展」Gean art speace(spaceの誤り?)(埼玉)
1992​「個展」愛宕山画廊(東京)

<主なグループ展>
2013​「SUMMER SHOW 2013」日本橋高島屋美術画廊X/新宿高島屋美術画廊(東京)
「溶ける魚 つづきの現実」京都精華大学ギャラリーフロール/Gallery PARC(京都)
2011​「激凸展」unseal contemporary(東京)
2007​「City_net Asia 2007」ソウル市立美術館(韓国)
2005​「第8回岡本太郎記念現代芸術大賞展」川崎市岡本太郎美術館(川崎)
2004​「第7回岡本太郎記念現代芸術大賞展」川崎市岡本太郎美術館(川崎)
2002​「KOREA MASS/JAPANESE FIGURE」MOK AM MUSEUM(韓国)
1999​「新世紀人形展」ストライプハウス美術館(東京)
1998​「WORK'S 98」横浜市民ギャラリー(以降1999、2000年参加)(横浜)

<受賞歴>
2008​平成19年度 愛知県芸術文化選奨 新人賞
2005​第8回岡本太郎記念現代芸術大賞 準大賞 川崎市岡本太郎美術館 
1999​新世紀人形展 日向あき子賞 ストライプハウス美術館(東京) 
1990​日本大学芸術学部 学部賞


Takehito Fujii

1967 Born in Nagoya, Japan
Education
1990 MFA, Nihon University College of Art  

Solo Exhibition  
2012 New Personification Vol.4 To what extent are we not iron?, unseal contemporary, Tokyo
2009 Double Irony, Gallery M contemporary art, Aichi
2008 Sculpture punishment-Extended, Striped House Gallery, Tokyo
2007 New Personification Vol.3 Dolls at the Melting point, Striped House Gallery, Tokyo
2005 New Personification Vol.2 PSEUDO METAL BOSSA, Striped House Gallery, Tokyo
2004 Sculpture punishment, Striped House Gallery, Tokyo
2003 New Personification, Striped House Gallery, Tokyo
2002 Exculpture, Gallery APA, Nagoya
Exculpture, Gallery PORT des ART, Tokyo
2001 Exculpture, Gallery APA, Nagoya
Gallery Art Collection Nakano, Nagoya
1996 Gean art speace (space?), Saitama
1992 Atagoyama Gallery, Tokyo

Group Exhibition  
2013 SUMMER SHOW 2013, Nihombashi Takashimaya art gallery X; Shinjuku Takashimaya art gallery, Tokyo
Soluble Fish Continued Realities, Kyoto Seika University Gallery FLEUR; Gallery PARC, Kyoto  
2011 GekiTotsu-Ten, unseal contemporary, Tokyo
2007 City_net Asia 2007, Seoul municipal museum, South Korea
2005 The 8th exhibition of the Taro Okamoto memorial award for contemporary art, Taro Okamoto museum of art, Kawasaki, Kawasaki
2004 The 7th exhibition of the Taro Okamoto memorial award for contemporary art, Taro Okamoto museum of art, Kawasaki, Kawasaki                  
2003 KOREA MASS/ JAPANESE FIGURE, MOK AM museum, South Korea
1999 New century doll exhibition, Striped House Museum of Art, Tokyo
1997 Work's 98, Yokohama Civic Art Gallery (Participation 99, 2000 at the following), Yokohama

Awards
2008 Rookie of the year award, Aichi Prefecture art culture recommending award    
2005 Semi-grand prize, The 8th Taro Okamoto memorial award for contemporary art (no pertinent person of the grand prize)         
1999 Akiko HIyuga(Hyuga?) award, New Century Doll exhibition          
1990 Faculty award, Nihon University College of Art


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# by fujiibph | 2017-08-27 16:27

VOLTA NY 展示景

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# by fujiibph | 2017-03-11 09:45

VOLTA NY

個展形式のアートフェア「VOLTA NY」http://ny.voltashow.com/about/
にYODギャラリーから出展します。(2017年3月1-5日,ニューヨーク,USA)http://ny.voltashow.com/exhibitors/galleries/list/yod-gallery-osaka/takehito-fujii/
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# by fujiibph | 2017-02-25 01:27