藤井 健仁 近況

個展 GIRLSLIFESMITH 2016 麿赤兒氏序文



私は藤井健仁氏の彫刻像が持つ背景の重さと、その広大さに魅せられている。
宇宙的空間と何光年もの長大な時間を一挙に生け捕りにしてパックした趣を感じるからだ。
それは有史以来、美術史の如何なる作家の彫刻像とも異質である。
洋の東西を問わず、かつて多くの作家達がその時代の自然現象・社会環境の中で、人間の情念の有り様・知の有り様、それ等を超越するべき思考と手法を駆使し「ヒトの秘密」をあらゆる角度から照射し、あぶり出そうとした。藤井氏はそうした営為を熟知しつつも、それ等に対して、肯定と否定を目眩く繰り返したことであろう。
それは美術史の大いなる迷宮の際限なき罠とも言える。
鉄という元素は宇宙開闢以来の元素であり、一つの星の創造と破壊に作用し、しいてはあらゆる生物の生存にも作用する。その元素が持つ膨大な時間の記憶を藤井氏は受胎したのだ。
鉄と向き合い、鉄と格闘の如く、交接・交感することによって・・・
その瞬間、彼はあの際限のない罠から、絶対的自由を獲得したのだ。
彼の変容とその彫刻像の変容は「鉄面皮」の人々になり、昆虫になり、猫になり、少女になる。
しかし、それ等は全て命がけの擬態の形相を呈している。
全ての生物がそうあらねば死滅のみである。
それほどにこの星は、世界は、クライシスの臨界にあると、藤井氏なるその像達は言っているのだ。しかもどこか微笑みを含みながら・・・

麿赤兒(舞踏家・俳優)

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鉄は人の血中にあってそれを生かし、また兵器となっては多くを殺めてきた。一方、人形はそれが嘗て神像呪物であった時代から人を慰撫し続けてきた。だが「鉄の時代」が亢進してゆくにつれ、信仰対象の座は科学に取って替わられ、それは専ら個人的な閉じた領域に押しやられていく事になった。

鉄と人形、この二つが重なり合う次元が制作空間となる。考えようによっては対極と軋轢に充ちたこの場所に於いて、新しさも古さも極端さや連想もさほど効果は期待出来ない。そこに居続ける為に必要なものは、人形のかたちをとることでより無慈悲な鉄となり、又、鉄によって形成されることでより一層稚雅な人形となる、そうした循環を支えるに足る、質と強度だけである。

                    2016.4.8  藤井健仁

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このたび 高島屋では「New Personification Vol. 5
GIRLSLIFESMITH 藤井健仁展」を開催いたします。
一般にはとても扱いやすいとは想像し難い素材である「鉄」を最も扱いやすい素材と言いきる藤井健
仁。近代文明・産業の発展を牽引し、時に人類を殺傷させるほどにそのカタチを変容してきた素材と
しての鉄を熱し、叩き、切り、曲げ、溶接するという男性性溢れる行為とも言える過程を経て表出さ
れる藤井の作品は、しなやかで、艶やかな色香を含んだ、時に珍妙なさまの女性性に満ちた姿でそっと佇んでいます。
その姿は我々が日常においてそこに在るのに敢えて見ようとしない不文律の様でもあり、心の奥底に
しまい込んだ好奇の末の罪悪感、高尚と下衆が綯交ぜになった人間の心理を揺さぶる鉄が変容した何
ものかの様でもあります。
藤井のつくる未来が遠い過去であり続けることで、我々が目にするその作品を前に、アカデミズムが手放さない正義と建前は自ずと溶解し、現代に対する批評性を孕んだそのシンボルとしての偶像崇拝主義からの解毒が喚起されるなど、人形としての化身に自身を投影せずにはいられなくなります。
相反する概念をハンマーで叩き伸ばし新たなイメージをつくりあげる霊長類人形目彫刻科の藤井健仁の現在をどうぞご高覧ください。








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by fujiibph | 2017-08-27 17:02
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